見下さない
道徳の話じゃないよ。
世の中にはあそびが溢れていて、ことエンジニアは特に遊び好きな印象だ。
昔の僕はラノベとか萌えアニメとかを見下していて、くだらねーもん見やがってと毒付いていたが、今はそういうわけでもなくなった。いいじゃん、という態度になった。
いいじゃん、というのは「読みたきゃ読めば」という消極的な受容ではなくて、「へえ、そんなのもあるんだね」くらいの積極的な態度。しょうもないテレビ番組を見ても、いいねと受け入れる。
なんでこうなったかというと、なんでも難癖つけているうちに自分の趣味も楽しめなくなって、頭の中の娯楽ボックスがすっからかんになってしまったから。自分の趣味も低俗で唾棄すべき物に見るようになってしまったわけ。
ものを見下すようになったのは高校生なりに努力した結果であった。なんとか成績を上げたくて人格をよく作りたかった。良いものを取捨選択して皆に遅れまいとした。するとラノベとか萌えアニメは不良だ。潔癖性になってしまい、あえて流行りや娯楽から遠ざかるようになった。そういうわけ。
けっきょく理想的になろうとしていたはずが自分に手枷をする結果になっていたようだ。それに気付いて反省したというのがここ最近の動向。
この捻くれた性格のおかげで数年間を棒に振ったような気もするし、容易に性格は変わらないだろう。だがこうやって自分の性格を察知できたことは幸いかな。僕はエンジニアなのでエンジニア的にまた直せばよいだけだ。
知的活動が潔癖だと遊べなくなる。ゼロか全てかでものを見るようになってしまう。少しできないだけで諦めてしまう。そしてあそびができなくなる。
あそび
僕はあそびはもっとも人間らしいことのうちの一つだと考える。くだらないあそびから全てが生まれうる。ネットはそんなあそびに溢れている。ネットの馬鹿騒ぎは気をつけないとあっという間に精神がすり減るけれど、有用なものもある。
ある見方で言えば、あそびとは、なんかポッと頭に浮かんだ思いつきのこと。こんなコード動くかなとか、あんなソフトあったらいいなとか、この料理作れるかなとか、あそこ行けるかなとか、あの人と遊ぼうかなとか。
僕はすぐにどうせ無理だと思ってそういうあそびから目を背けてきたけど、やはりあそばないと人間らしくないと思ったし、世の中にもあそびが溢れてほしい。
夏
自分の人生は自分で演出する*1ので、夏を演出したい。そういうわけでカンカン帽とかあったら夏っぽいなと思いつつ、どこで買うのかとか全く面倒なので放置している。そうこうしているうちに夏が終わるのが定番パターンなので、そろそろ重い腰を上げようか。