Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

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男と女が言葉で殺し合うのは旧世界と新世界の権力闘争のせい

要するに、男性のあり方・女性のあり方の問題を社会に提起したら叩かれているらしいが、僕はこの人の考えに共感したので書く。

岡田斗司夫騒動にみる、愛人になった「彼女」とならなかった「私」 - あの子のことも嫌いです

ネットで頻発する男叩きそして女叩きの背景には、ネットを介することによるリアルさの欠如が影響していると思う。

現実にはいろいろな男や女が居るけれど、ネットではカテゴライズされた男性像や女性像しか頭に入らない。ネットを使う上での検索技術・抽出技術がある人ほど無意識のうちに自らの見付けたいものを見付けるので、さらに男性像・女性像は固着する。また、単純な想像力・発想力の欠如でもこうしたことは起こる。男女文化、ジェンダー的なものについて貧弱なイメージしか持たない者は、そこからしか男女を認識できない。

ネット、とりわけSNSまとめサイトがこのイメージの固着を強力に進め、あたかも我々の間でそのイメージが合意されたような空気を醸成する。合意ができているネタはウケが良いので頻出するようになり、何も知らない人に、あたかも元々からネタの背景になる意識が当然のものだったかのような心象を与えるのは、たやすい。世の中にはクソ女とDQNが跳梁跋扈していて、日本の闇にはことごとく在日が関与していて、老害が日本を滅ぼそうとしていて、テレビは売国だ。そういうイメージが高速で伝播する。

インターネットの普及によって情報や意見を発信する者が増加し、さらにまとめサイトが見掛け上の発信者を水増しすることで、まるで銀行が信用創造を行うように、インターネットにおける祭り感は急激にインフレする。どうでもいい事で企業やバカが炎上するのは、このインフレ作用が働いたからだと考える。

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ネットは、ヒトやモノへのイメージの固着を触媒のように促進する。それを踏まえると、今回の流れもつかめるのかなと思う。

だいたい、男と女は違う。生物学的に男は女になれないし女は男になれない。互いに別の生き物だと考えるべきだ。どうしても互いに理解できないことはあるし、それは仕方がないのだ。夫婦だって喧嘩するのだから、顔も見たことのないような他人と解り合えるなどと考えないことだ。折り合いという言葉がある。互いの文化的な差異を受け入れ、等身大の異性を受け容れること。が大事なのだ。ここでの「受け容れ」とは、相手に合わせるとか要求を全て呑むといった受忍的な意味ではなく、自分と相手は違う存在だということを把握し、そのうえで相手を一人の個性ある人間として尊重するといったオープンな態度のことだ。id:uzuramadoka氏が主張したのはそういう意味のことだと思った。

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というのが僕の男女観のようなものです。

ネットではとりわけ女叩きが激しいように感じているが、これは2ちゃん文化からパンピー文化へとインターネットの主導権が移動している現状への2ちゃん文化側の抵抗だと見ている。単純にネット人口が増加したことにより様々な人間がネットに現れるようになって、旧来のマスメディアの資本の投下が本格的になった影響でテレビ層が力を持つようになり、旧世界から新世界へと価値観や文化が変動する中で、日本的2ちゃん文化の共通価値観である「非モテ」「負け犬根性」が、旧世界の人間を団結させるキーワードとなって、2ちゃん文化最後の拠り所になっている。2ちゃん文化は追い詰められている。こうして生まれた女叩きという因習が、すでに書いた固着効果でずっと普及している。

長くなってしまったしめちゃくちゃになったけれど、とりあえずこんな感じ。男と女が等身大に付き合いをうまくこなせるようになればいいと思います。

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