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お引っ越しは新陳代謝である

引っ越しにあたって家の物を捨て続けているが、一行に物がなくならない。こんなに物があったのかとびっくりする。 だがむしろ着目すべきは、今まで使わなかった物の多さだろう。 押入の奥に入れたままで使わなかったモノや、通読しただけで本棚で埃を被っている本、着ない洋服、無用ながらくた。 これらの捨てられる運命にある品々は今まで、ただ存在するからという理由だけで、居室の空間を埋めていたのだ。 ほぼ一度も使わないものが澱のように溜まっていたのが、ようやく可視化されたような心地だ。 これらが捨てられることで、新居の空間はより効率的に使えるようになるし、もしくはモノをそれだけ置かずにインテリアを見苦しくないやりかたで調度できるようになる。

なにが言いたいかというと、引っ越しは強制的に不要物を捨てさせるので、心身についた垢が剥がされ、生活がより洗練された形態に向かっていくということだ。生活の食べ残しといえる不要物を綺麗に忘れてしまい、精神的にもゆとりが生まれるようになると思う。取り込み続けるためには、捨てなければならない。大きくなるためには脱皮しなければならない。ものをあまり持たない暮らしという考え方は、これをイージーならしめるための思想だと思う。ミニマリズムはそれを極端に実践するやり方だと理解できる。持たない痛みを受けながら、ともすればいっしょくたに部屋の暗い所に押し込んでしまいがちな、必要なものと不要なものとを選別するのだ。

ちょっと捨てるのが寂しいものだって、ある。でもそういうモノたちに「今までありがとう、じゃあね」と言って別れを告げていくのは、新たな暮らしへの渇望と希望を与えてくれる側面もある。今までとは違うわたしに会うためには、捨てるべきものを捨てなければならないのだ。考え方を換えると、持ち物がある程度その人の一部となって、生活や精神面を支配するのだ。

孟母三遷