Lambdaカクテル

ソフトウェア開発者です.玉石混淆です.

『マリア様がみてる』読んだ

大学の友人から借りたままになっていたので,えいやっと読もうと夕飯を外で食べた足でそのままカフェに寄って頁を開いたところ,途中から異常に興奮してきてカフェにいられなくなったので,帰って家で読み切りました.尊いという用語(ジャーゴン)は,このためにあるのでしょう.あーもう幸せで良い.「わたしが」何かをして幸福になるといった客体としての幸福ではなく,イデアルで魂から滲み出るような,それ自身が是であるような破格の幸福を感じます.お嬢様学校の生徒として転生すべく,今すぐ鴨川に飛び込んで来世に一縷の望みを託すような愚行でさえ許せてしまうような多幸感です.

今日ここ数時間の価値は,読書の良さを身をもって自分自身に証明したことです.なぜなら,読書はイデアルな幸福を直接脳に持ち込むからです.良きものを提供するのではなく,良きものが脳内で創造されるという,一種の自家中毒めいた情景です.毎日の価値が再定義され,とにかく多幸感に包まれています.

思えば小学校の児童であった頃はほぼ毎日を図書室で過ごす本の虫であったことを不意に思い出しました.漠然とした6年間の記憶は,ほぼ図書館での記憶に支えられています.そこで読んだ小説の数々が私の人格形成に多少なりとも影響を及ぼし,そこからおよそ11年かけてこのような小説に出逢ったことは,地球上を旅するには遅すぎ,そして宇宙を旅するには早すぎるという,もはや新たなものなどないのではないかという思いすら抱かせるこの均質な時代の中で,まだ発見していない幸せがあるのだという気付きを私に与えるには十分に心を揺さ振るものでした.そして,中学校に入ってから読書という体験から離れてしまい,高校に際しても大学に際しても,その没頭ぶりを回復できなかったことは,私の大きく後悔するところです.その空白を取り戻す機会が今日の良き日に得られたことをミネルヴァに深く感謝し,甘酸っぱい読後の余韻に遊ぶことにします.