Lambdaカクテル

京都在住Webエンジニアの日記です

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本当の本当にスマホでなければいけないのか

最近スマホに飽きてきた、というか、スマホ主導のライフスタイルに嫌気が差してきた。

暇さえあればiPhoneでネットサーフィンをぐだぐだ続け、駅でも電車の中でも常にどこかと通信している。電車では誰もが小さな画面を黙々と弄っている。

正直自分はスマホに振り回されていると感じている。本当にスマホが必要かと問われれば、「必要無い」からだ。電話かメール(iMessage)か、たまに友人とLINEトークでだべっている程度。それ以外はネットサーフィンの道具だ。

iPhoneが使いづらくて辞めるというのでも、ガラケーで十分だったから辞めるのでもない。僕は最初からiPhoneをずっと使ってきたいわばスマホネイティブで、3G、3GS、4、4Sと追従してきたApple大好きっ子だ。だけれど、スマホがこれだけ生活を取り巻くようになって、心のどこかで「違う」という感情が起こるようになっていた。高速回線を通じて提供される情報の波に翻弄されるのがもう厭になったのだ。TwitterInstagramFacebook、LINE。人類が通信を始めてからというもの、その速度や頻度は暴走する機関車のようにどんどん速くなっていった。だがもう限界だ。僕の処理能力を越えている。僕は情報を求めていない。情報を使いたいだけだ。

スマホを持つことで、フォアグラのガチョウのようにただ黙々と情報を食べさせられているのに、違和感を感じるようになった。どんどん情報が体の中に入り込み、相対的に自分が薄まっていく。自分が自分でなくなっていくような感覚に襲われる。思考が希薄化していく。考えているようで何も考えていない。

スマホは便利だ。何でもできる。写真。電話。会話。でもそれは本当に必要なのか?常にどこかと繋がっている必要はあるのか?

何でもしようとする機械は、結局何にもなれないのではないか。スマホが僕たちの生活の多様性を破壊していないか。それぞれの目的に特化したモノがあるからこそ、生活に彩りが生まれてやすらぎが得られるのではないか。

だから最低限電話とメールができて、せいぜいBluetoothが使えるガラケーを探している。ぶつぶつ。

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