Lambdaカクテル

ウェブアプリケーションエンジニアです.玉石混淆です.

無駄な時間症候群

最近時間を無駄にしていると良く感じる。とはいっても実際に大した無駄をやっているわけでもなく、そこそこ本も読んでいるから節度を持って時間を使っている。それなのにどういう訳か「時間を無駄にしてしまったのではないか」という恐怖みたいなのに駆られることがままある。こういった感情はどこから来るのか。

恣意的な時間

まず思いつくのが「時間を無駄にした」という定義の恣意性で、どうやら僕は思いつくたびに適当な基準で「時間の無駄」を定義しているらしいことに気付いた。なんとなくの感覚で「時間を無駄にしてしまった」と悩んでいたのだ。『イシューからはじめよ』の言い方を借りれば、反省していた、つまり解決策を考えたのではなく、単に悩んでいたのだ。

そこで改めて「時間を無駄にする」こととはどういうことか考えてみる。まずここでいう「時間」というのは自由に使える時間、つまり可処分時間のことだと容易に想像できる。最初から動かせない予定が詰まっている時間は無駄にしようがないからだ。好きに使えるはずの時間を浪費した時、初めて時間が無駄になったと言える。

次に「無駄にした」というのはどういうことを指すのか考えてみたい。少し考えてみると、無駄というのは《他にもっと大事なタスクを実行できたのに、さほど大事でないタスクを実行してしまった》という表現に落とし込むことができる。言い換えれば、最適でないタスクの割り当てをしたということだ。理性は、価値の密度の低いタスクを実行した事を嘆いているのだ。もしくは、その時間に何もしなかった場合もそうだ。

これら2つから勘案して、「時間を無駄にした」と感じるのは以下の要件を満たした場合だといえる。

  1. その時間が可処分であり
  2. より価値のあるタスクを実行できたにも拘らずより価値の低いタスクを実行した、または何もしなかった
ここから先ほどの「時間を無駄にしてしまった」という恐怖について考えてみる。仮に、僕が実際には時間を無駄にしていないのに「無駄にした」と感じているとすると、これは僕が先ほどの要件を満たしていないのにこれを満たしていると錯覚しているということだ。錯覚しているのだから、答えは出せるはずもない。この場合、1.または2.について間違っているか、もしくはその両方について間違っている。この3類型を考えてみよう。

非可処分時間と可処分時間との誤認の場合

まず、可処分でない時間を可処分時間だと思っている場合について。時間を無駄にしたように感じるが、そもそも使える時間がないという場合である。感情は価値あるタスクを実行したと感じておらず、精神的な満足感を得られていない。このため「満足感を得られていないのだから、時間を無駄にしたに違いない」と因果関係を取り違えて誤判断してしまうのではないだろうか。このため、可処分時間の少ない忙しい人ほど時間を無駄にしたように感じてしまうのだ。人は平等に一日24時間を与えられているが、そのうち自由にどれほど使えるかは別の範疇に属する。通勤に時間がかかればその時間は死んでしまう。これは少なくとも住居を変えなければどうしようもないのだから無駄にしようがない。しかし無駄にしたと感じてしまうだろう。

タスクアサインの無駄を信じ込んでいる場合

次に、価値の高いタスクに代わって価値の低いタスクを割り当ててしまったと思っている場合について。価値の高いタスクが存在していて、実際に実行したタスクの代わりにそれを実行できたと思っているが、そもそも価値の高い実行可能なタスクなんてなかったという場合である。タスクを見極められていないために、存在しないタスクを仮定してそれを基準に落ち込んでしまう。この反応は、実際に実行したタスクから逃避したいと思っているのかもしれない。より価値の高いタスクを仮定することで、少なくとも実際に実行することになるタスクからは目を背けることができるからである。または、頭の中でタスクを整理しきれていないために、より高い優先度を持つタスクの存在を幻視しているかもしれない。きっちりタスクを具体的なレベルにまで細分化すればこのような問題にはならない。

それらの両方

いわゆる自己管理ができていないとこのケースに引っかかってしまう。自分にはどの程度の可処分時間があり、またどのようなタスクがあるかを把握できていないのだ。このような場合にするべき事は、「しなければならないこと」を全て列挙し、自分が一日に使える時間を再確認してこれを受け入れ、タスクのスケジューリングを改めてし直すことだ。人間の処理能力には限界がある。どれだけ頑張っても能率が低下するだけで結局は無駄だ。人間は機械ではないということを念頭に置かなければならない。がむしゃらになんでも手当たり次第にやるより、本当にすべき事を着実にこなすのが、良い自己管理だ。

さて、今日は時間の無駄について書いてみた。かなりの部分が『イシューからはじめよ』の受け売りだったりする。深夜に書いたので意味不明な事を書いているかもしれないが、忘れてしまいそうだったので一気に書いた。

イシューからはじめよ―知的生産の「シンプルな本質」

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