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Lambdaカクテル

ソフトウェア開発者です.玉石混淆です.

浮いてないサービスの話

id:doughnutomoのはからいで近藤会長(id:jkondo)と飲みに...もとい懇親会に行けることになった。その中で聞いたお話。

貨幣というものは現実に存在するモノよりもはるかに多くの価値を背負わされている存在であり、いわば宙に浮いた存在である。全世界の貨幣を合わせると、現実に存在するモノが足りなくなるほどの価値を与えられている。通貨システムは人間の信用、といえば聞こえはいいが、ある意味で空虚な土台の上に成立している存在である。それゆえにバブルや恐慌のようなものが引き起こされてきた。しかしながら、現実に経済や社会を動かすのは生きた実体を持つ人間であり、最終的には物事の価値はそこに収束してしまうのだから、人々を喜ばせ世界の役に立つという観点に堅実に立つならば、我々は地に足の着いたサービスを提供していきたい、というような話を聴いた。恐らくこういった内容だった筈なのだが、好き放題飲んでいたので定かではない。

世界には浮いたサービスが溢れている。ゲームも浮いたコンテンツに含まれるだろう。爆発的にヒットしたかと思えば、一週間後にはまた別のゲームが人気を得ている──そういった光景はごくありふれている。人目を浴びずに消えていったゲームがある一方で、今もなお人心を掴み続けているゲームがある。そういった存在は好奇心や暇な時間を充足させてくれるかもしれないが、本当にプレイヤーの心に残り末永く人々に語り継がれるような存在は少ないのではないか。そういった時の試練を越えていったコンテンツやサービスこそが、良いサービスだと謂えるかもしれない。だとしたら、毎日スマホでどうでもいい情報をだらだら頭に詰め込んでいる自分は豊かな人生を送れているだろうか。僕は表現と受容に自由でありたい。

さて、自然の情報量という話も聴いた。人間が作った物には人間の考えうるだけの創造力が注ぎ込まれてはいるものの、所詮人間の考えられる範囲の情報量しか含まれてはいない。それと比べると、山岳や海洋、河川といった自然なる存在は人類よりもはるか昔から存在していて、歴史的な変遷について言えば人類を圧倒するだけの情報量を持っていて、人間の目線からすればずっと洗練されている*1。だから自然は好きだ、と。

自然の情報量の豊かさ。その裏には、自然から多くを感じることができる人間の感受性の豊かさがありそうだ。太古に刻まれた本能的な感受性だけではなく、それを複雑に発展させて成立した人間の知性もまた、自然の豊かさの一種なのかもしれない。

人類以外の知的生命体が人工的に設計した構造物に人間が迷い込んだとき、人間はそこから何を感じ取るのだろうか。全く思考の土台が異なる知的存在の創造物に遭遇したとき、地球人は何を感じるのだろう?僕はその答えを知らないが、同じような事が人間社会という比較的小さな存在にもあてはまる気がする。プログラムやコンピュータサイエンスについて一般の人々は多くを知らない。エンジニア同士の会話はあたかも異星人同士の会話に聞こえるに違いない。そのような一般人が、エンジニアが叡智を絞り出して作り上げた極めてシンプルなコードや最適化された電子回路、計算され尽くした建築物を見たとき、彼らは何を思うのだろうか。

アンドロイドは電気羊の夢を見るか? (ハヤカワ文庫 SF (229))

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*1:人間原理という言葉を思い出した。