Lambdaカクテル

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「しゃんとした意見」の話

京都に来てから連日酒を飲んでいる気がして、京都に来た目的って何だっけって感じになっている。しかし京都には沢山の飲み屋さんが散在しているので幸せを感じている。すばらしい。

指を指されない平和なインターネッツ

メタ情報のネットワーク

インターン生としてブログの機能を実装していて感じた事があった。コメントは言わずもがなだが、インターネット上において、リンクや引用など何らかの形で言及されると、言及されたページにはトラックバックのような形でそのページが世界でどういう扱いを受けているのかを知ることができるようになる。そこで初めてそのページを訪れたユーザはその記事が炎上しているだとか、批判されているだとか、人気だとかの情報を受け取る。ノスタルジックに美化された僕の思い込みかもしれないが、かつてインターネットに個人ページがひしめき合っていた頃、そのような機構はどちらかといえば少数派で、初めて来たユーザがパッと空気を読めるといった状況ではなかったように思う。この僕の記憶が正しいならば、現実世界と比べて情報の流れが高速だと言われるインターネットの中において、さらにその範疇の中で記事の人気度のようなメタ情報のネットワーク伝播の高速化が発生したということになる。

火の無い所に煙が立つ時代

ところで、初めてその記事を見たユーザがメタ情報を通じてその記事への世間の評価を知ったとき、その時点でユーザの頭の中には先入観が固着してその後長く尾を引くのではないか、というのが今回の記事の趣旨だ。とりあえず目についた意見を世界の総意として受け取ってしまう人間が、無責任な炎上だとかネットデマの類を撒き散らしてしまうのではないかと思う。中二病によくある、肥大した自意識というやつかもしれない。こういうネット上の不利益な事象を研究する、心理学とか社会学とかにまたがるネット病理学のようなものが今後発達していきそうな気がする。

周りの意見を呑み込んだ瞬間に言論は娯楽になる

意見の本体ではない付随した周りの人間や集団の反応を見て同調したり反論したりするのは娯楽でしかない。保守的であれ革新的であれまとめブログと呼ばれる種類のメディアは娯楽の域を越えず、これを引用したりRTしたりして自分の意見のように語ったとしても、やはりそれは情報を消費する娯楽であり、せいぜい知的スポーツ程度のものでしかないと僕は考えている。意見というものはそれを語る相手の存在が不可欠だが、 そもそも集団には意見は存在しないし、合議によって意見が形式的に確定しない限り、相手として成立できないと考えている。マスコミ批判に熱の入りやすいまとめサイトだが、集団の発言を恣意的に気儘に集めているという性格上そもそもそのような資格はないし、あるとしたらその意見が管理人のものであると示されたときだけだと思う。娯楽と意見を混同するべきではない。

意見の破壊力の話

そうはいっても適当な感じでRTとかしちゃうのは自分も同じなので気をつけたいと思いました。思いがけないツイートが広まったりすると自分の潜在的な影響力が恐ろしく思える。