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Lambdaカクテル

ソフトウェア開発者です.玉石混淆です.

ネガティブな感情は伝染する

疑問 雑感
最近まとめサイトの質が急に上がったような気がする。哲学nwkとか。
2ちゃんねる(の一部)が利用できないのでまだ人口の少ないおーぷん2ちゃんねるにソースを頼ることになっている事と関係はあるんだろうか。

さておき、最初こそアフィの逃げ場みたいな感じで見ていたおーぷん2ちゃんねるだが、割と良質な話題を提供している。2ちゃんねるに漂っている陰湿な空気─すぐ話の腰を折る態度のような─がさほど感じられない。
正直、かなり魅力を感じている。皆が真面目に見える。それなりに建設的な議論も行われている。
人口が少ないから贔屓に見ているのかもしれないが、2ちゃんねるの質の悪い利用者がうまいこと排されているように思えてくる。

P2Pで安定して稼働する掲示板を作ろうと息巻いて数年経つし、今だに完成していないのだが、あっさり互換掲示板に追い抜かれてしまい、虚しさとあっけなさをなんとなく感じた。
あれだけネットの総意のようにアフィを叩いていた人たちとは裏腹に、普通におーぷん2ちゃんねるは回っているのだ。

僕は勘違いしていた。ネットの総意などというものは無い。ネットはあくまでインフラなのであり、そのなかで活動する個人もまた独立した思考体なのだ。

ただネガティブな感情はあっという間にネットの海を介して伝染する。在日叩きに始まり政治家への蔑視、いわゆる「DQN」からの根拠なき優越感など、様々な負の感情がネットには渦巻いている。
人間は自分より下を見がちで、そして信じたいものをすぐに信じてしまう。2ちゃんねるTwitterなどで、負い目のある相手─たとえば未成年の喫煙だったり、政治家の失言だったり─を徹底的に叩き潰す現象の原動力は、ネットの匿名感が本能のタガを外した結果だろう。

批判をするなと言うのではない。ただ批判になってすらいない罵詈雑言を投げかけて気持ち良くなっちゃう愚かさだとか、批判そのものが目的化してしまって「批判する俺たち vs 批判されるバカな奴ら」といった図式に酔ってしまう浅ましさだとか、そういう幾多もの批判ドラッグに嵌ってしまうことについて、あなたは疑問に思うべきなんじゃないか。
タバコを吸った未成年を退学するまで叩き潰して人生をメチャメチャに「してやった」ところで、日本全体の幸福が幾分かでも増えたんだろうか?
僕はそうは思わない。
非行少年を一人叩き潰すよりも、不幸にも一人の非行少年を生んでしまった社会の病を考えてみることの方がはるかにコスパがいいんじゃないか。
僕はそう思う。

どうしてこんな現象が起こるのか?理由を考えてみる。
日本人は論理的でないと良く言われてきたように覚えている。それは果たして正しいと思う。朝っぱらからテレビで議論にすらなっていない討論ごっこをやっているのを見ればそんなことはすぐに分かるし、そんな番組は日本社会の発展を阻む敵だ。
世間の議論に対するイメージが「学級会の言い争い」レベルから進展しないことがネット言論の低俗さの原因の一つだと僕は疑っている。

僕は、日本人は洗練されなければならないと思う。進歩と洗練は違う。洗練するのに新しい何かを受け入れなければならないという事はない。その第一歩が論理的な考え方と建設的な態度の修得だと思う。

論理的な人はいても建設的な人はそんなに多くない。話し合うと言うことは分かりあうという事であり、譲り合う事で利益を最大化しようとする行為だ。日本での議論は「相手に打ち負かされたくない」という幼稚な感情で成り立っている。今必要なのは「議論の方法」というより、「議論はなぜ行うのか」という事をよく考えてみる事なんじゃないかな。

まあ要するに、答えの見えない問い掛けに対してすぐ否定から入る人はダメダメってこった。
そして、性根の腐った連中を見る前に、自分にそういう部分が無いか常に点検するこった。

僕らには哲学が足りていない。僕らは疑わない。僕らは考えない。