Lambdaカクテル

ソフトウェア開発者です.玉石混淆です.

僕と手紙、そしてともだち

僕は今、文通のようなことをしている。
僕の数年来の付き合いの友人が予備校の寮に収監住んでいて、
その寮では、インターネットへの接続がどうやら禁止されているらしく、
Twitterに顔を出せないから手紙しか連絡手段がない、というわけなのだ。

最初は不便に感じたけれど、よく考えてみると、Twitterが登場する以前の僕たちはメールで友人との他愛のないおしゃべりをしていたし、
また、メールなんて大層なものが無い時代には、遠い地に住む人との交流には、便箋なり葉書なりを使用するのがふつうだった。
それが今、奇妙な条件の一致でひょっこりと復活してしまった。

僕は手紙を書くのは中学生以来のことで、すっかり書き方を忘れていた。
そのこともあって、僕は文章を鍛錬しながら書くために頭をひねることになった。
いまの僕たちは、簡潔な連絡や交流に、たいていはTwitterやメールを使って、手紙なんてもうめったに書くものではなくなってしまったけれど、改めて実際に手紙を自分の想いの結晶として書き出す作業は、ある種の感動を呼び起こしたようだった。

手紙は、ふだんは言えないようなことを言わしめることができる。
僕と彼女は、つねにペン先で真剣勝負をする。
ポストに彼女の封筒が届いていると、無性に読みたい気持と、内容への恐怖が入り交じった気分がする。
彼女からの封筒はつねに強烈なオーラをもっているのだ。
文通という行為は、一種のスポーツなんじゃないだろうか。

手紙の価値を再発見したような一日だった。