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Lambdaカクテル

ソフトウェア開発者です.玉石混淆です.

部屋の蛍光灯を替えた

電球色に変えたところハッピー。今まではよくわからない青白い色で、しかも二本あるうちの一本は消えていた。カバーがかかっていたから気が付かなかったが、きっと最初から消えていたのだろう。

暖かい色になったことで落ち着くように感じる。

メトロ行った

同僚氏とクラブ「メトロ」に行った。そもそもクラブ行ったことなかったけどライブハウスという感じで楽しかった。爆音でなんか鳴ってるのでストレス減ってきた。ただしクラブの文法がよくわからなくて、ほぼ喋らずに一人でゆらゆらしていた。自分は声が通らないタイプなので何もできない。人は無力。あと顔が真顔でずっとそのままで、私は笑顔を忘れてしまったのか。と問いかけたく。人の尊厳。カバンが大きくてロッカーに入らない。押し込んだ。かばんちゃんと名乗らせて頂く。そのうちくたびれてきて、帰った。同僚氏体力ありすぎると思ったが、どう考えても自分の体力が無いだけだと思った。したがって鴨川を走らせていただく。ジャージが買ってあるのが届いたのをダンボールから破り取りリュックに詰めたので持って帰ったのを着て 走るぞ。

日記(心労気味/聴き方にも技量があるのではないかという話)

最近の更新情報

  • 最近禁酒しようと思って実践しているのだが,今週は禁酒できている.できれば飲まないことにしたい.
  • なんか最近心労ぎみ.
    • ストレスを解消するのが下手なので,いいかんじに解消できたらなあと思っている.
  • やらないといけないことを把握できなくなっているのも心労の原因だと思ったので,GTDを復活させた.いまのところ好調.
  • 家に帰ると疲れてアウトプットする余力がない.疲れやすい.
  • 効果的に聴き,効果的に話すことについて考えている.
    • 伝わる話し方についての情報は沢山あるなかで,伝わる聴き方についての情報はよく知らない.
    • むかしから,人の話をうまく聴くことができない.うまく理解できないし,憶えられない.

心労気味

最近体調の変動が激しい.心理的体調の変動も激しくて,夜になるとめちゃくちゃネガティブになってくる.落ち込むの自体はよくある話だろうけれど,その振れ幅が大きくて疲れてしまう.なんだかなあ.全力で動けるときは今の数倍の仕事ができるのに. 眠れない傾向はまあまあ改善してきた.というか,眠くなったら寝るし,でも仕方がないので会社の前には起きるという感じにレベルダウンしただけ.本当は8時ごろに起きて本とかを読みたいけれど,そんなパワーが出ない. 別に理由があるわけではないんだけど,普通のことができない気持ちが支配的で,べき論的な言葉が目につくと,普通のことができる圧力を感じて弱ってしまう. 会社に行くと元気になってきて,その間はあまり気にならないのだけれど,一人になるとぐったりしてしまう. 今こうして日記が書けているけれど,今日は元気なので日記が書けている.元気が本当にないときは,寝ている.

効果的に聴くこと

話し方の本はたくさん世に出回っているけれど,聴くことについてクローズアップした本はあまり知らない.聴くことにも一定の技量が必要だと思う. 話を聴く中で,注意しておくべきポイントとかを押さえられれば,うまくコミュニケーションが成立してハッピーだと思う.

追記

その手があったか,遠くをぶらついてみます

本を貸し借りできる友達

友達に本を貸すということは自慢できる行いだ。そこには物語の受け渡しがあり、それ自体が小さな物語だ。他人が書いたはずのものなのに、自分の内心を読まれてしまう気恥ずかしさと、見えない秘密を共有するささやかな楽しさをもたらしてくれる、優しくてへんな営みだ。そんなことを許してくれるような友達が僕にも何人か居るのはグッドラックだと思う。

そんな友達たちに一年ぶりに会って、大学の向こうの世界の話をした。仕事はどうだろうか。最近何をしている?自分は何をしている?といったふうに。われわれが飛び込んでいく社会には名前が無い。高校、大学、サークルには名前があるが、その向こうの社会には「社会」という名しか与えられていない。広く混沌としていて曖昧で生きている世界と対峙しなければならない。そういった不安や緊張感をなんとなく交換できた。友達と話せて心の支えになりそうだ。

今回は一方的に喋りすぎてしまって、あとから恥ずかしくなった。もしかしたら得をしたのは自分だけかもしれない。それでは悲しいので、また機会があれば聴く側になれたらいいなと思う。

貸した本が返ってくるのはまだ先で良いような気持ち。

休みの日(コミュニケーションと同情とHRTの話)

休みの日がやってきた。でも特になにもしてない。誰かとでないとあまり外出しないので、家から出たのは夜遅い買い物の時だけだ。

同情、チームコミュニケーション、テキスト文化

実は最近仕事がうまくやれなくて凹んでいる。もちろんそんな時は励ましたり一緒に解決策を考えたりしてもらえて幸せなのだけれど、同情してもらえるということはあまり無い。

プログラマというのは改善するのが仕事という意識があるので、事態の解決が最優先だから同情は後回しなのかもしれないが、私も人間なので、同情も欲しかったりする。意外とこれは忘れられがちではないかと思う。Team GeekにおけるHRTにも関わりがあるのではないかと思う。

してほしいことは先ず自分が行うのが鉄則なので、人を助けるときは、労りの言葉をかけるのを忘れないようにしたい。雑に「やっていき」とか言っていたのは、人の抱えるつらさに真剣に向き合っていなくて無責任だったと思う。

言葉が定型句化してコミュニケーションが中身の無いものになってしまうのは、テキストコミュニケーションの問題点のひとつだと思う。芝居のような会話をしても誰も幸せにしない気がしてきた。真剣みが失われると真面目にやらなくなってしまう。

部屋が散らかる話/理解・想像の及ぶ範囲と学習

気付けば机の表面が見えなくなっている.どうも片付けは苦手で,油断すると台風が過ぎたような部屋*1になってしまいます.出した物をしまえばいいだけの話ですが,ちょっと見ておきたいチラシや,書くか決めかねている書類などが机のわきに積っていき,上から見ればまるで都市のよう.どうやら,それがいつまで使われるのかの見積りが下手なのかもしれません.今机には,じゅうたんのチラシ(鴨川を散歩 - Lambdaカクテル 参照)と,最近買ったXperia Compactと,それにスマホの座を食われたiPhone,リラックスサプリメント,ポット代わりにしている水筒,WindowsタブレットNFCリーダ,AVRISPmkII,有機ELのキャラクタモジュール,高校の友達にもらったティーカップ,ドンブリ,紅茶入れにしているクッキー缶,個包装の餅,メモ帳などがある.あ,壊れたマイクもある.

後片付けが苦手な性格は生まれつきで,あらゆる物の後片付けに失敗して育ってきました.宿題ももちろん忘れるタイプで,当時はメモするという概念もそれを見返すという概念も存在しませんで,ガンガン忘れていました.よく会社員になれたなと思います.皆様ご迷惑をおかけしました.生きているうちに自分なりの対応方法を獲得した結果なんとかまともな生活ができるようになったわけで,人間の学習能力は大したもんだと思います.学習した技術を挙げてみると,しなければならないことが発生したときはすぐにメモを行い,遅滞なく最後まで完了させる(先に延ばさない)ということに尽きます.あたりまえのことですが,これができなかったうちは大変でしたが,自分で困った中で編み出した知見なので,守り続けられています.

僕は教えられたことをそのままやらずに余計な事をするタイプです.これをやれと言われても,納得するまで手を付けませんし,納得しない事には全く興味が持てずにむしろ疑問視するという感じです.

高校では,それを裏付けるように得意な教科と不得意な教科がありました.暗記系はさっぱりダメで,数学も「何になるのかイメージがわかない」という理由で上達しませんでした.地学といった自然科学は想像やアナロジーの働く余地があったので得意でした.英語も,「異言語で同じメッセージを表現できるのは面白い」という理由で得意になりました.このあたりは非常にピーキーで,数学の成績は常に学年最下位レベル(センター試験で勝手に選択したプログラミングで生き長らえたといっても過言ではありません)で,その一方英語はかなり上位に食い込んでいました.地方の進学校だったのでカリキュラムのスピードが速く予備校にも行っていなかったという弱点と,理解の堅実な積み重ねを必要とする数学との相性が最悪だったようです.今となっては,好きなところから数学を学ぶことができるので,数学がもっと好きになりました.実は数学は中学校までは得意でした.

学習では,理解していることが最重要だと思います.知っているところから押し広げていき,それを補強していくのが王道でしょう.少なくとも僕はそういったやり方が最も得意です.そのためには基礎的な知識がたくさんあることが大事で,なんとなく直感的に知っていることが多いほど,学習の初期において有利だと思います.そこから学問は発展していくわけですから.

これと対照的なのが高校数学のカリキュラムでしょう.素朴な理解から敷衍していくのではなく,いきなり各分野の定義を教え込まれます.僕はこれに耐えられませんでした.中学校で習った数学との連続性が感じられず,断絶した孤独な知識としか感じられませんでした.経緯というものを教えてもらえないのだから仕方ない話です.

最近は数学ガールを読んでいます.

*1:自衛隊で行われる教育的指導としての「台風」については, http://www.mod.go.jp/pco/saga/rensai/no_8/no_8.html を見よ.

ふさぎがちな時(ふわふわした暮らし)

生きているとふさいだ気持ちになってしまうことがあります.これは事故のようなもので,ふさいでいるから人と関わりたくないのか,人と関わらないからふさいでいるのか,よく分からない穴に心がすとんと落ちてしまうことがよくあります.穴に落ちているので,意識が写し取る身の周りの情景はどこか虚ろで,それによって活動的な意識の手足はもがれてしまい,心身が防御体制をとりがちになるようです.

僕はたまに散歩に行ったり,人に愚痴を聞いてもらったり,まいっかと思ってゴロゴロしたりして,穴から抜けるのを待つことにしています.いつもの家のいつもの部屋じゃない環境にしばらくとじこもって,自分本位になるわけです.そうしていると,自分の心のたもとがゆっくり広がっていって,心が穏かになるようです.

穴に落ちているときにやらないようにしていることもあります.たとえば,SNSに接触しないようにしています.SNSでは他人の体験しか見られないから,自分と人をくらべてしまいます.人とくらべるとつらくなるだけです.自分の体験を持つことが大事かもと思います.僕はすぐ思い上がるので,画面で見たことのあるものや人を知った気になって,なにか別の物に気をとられてしまいがちです.でも,自分が知らないことはずっとたくさんあるわけです.それを知るのに,ちょっとした散歩や,人に相談すること,カフェに行くことは丁度良いようです.

自分を追い込まないように,ふわふわと暮らしていきたいですね.緊張も努力も安心も,適度が一番ということです.ふわふわ.

windymelt.hatenablog.com