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Lambdaカクテル

DESCRIBING: Scala, Akka, P2P, Scheme, Political sth., etc.

CLIでOSSなパスワードマネージャ「pass」とNFC Ringとで今年こそパスワードを倒す

パスワード oss nfc ring

NFC Ringを買った.これはNFCタグを伴った指輪で,プログラマはタグのユーザ領域を好きに使うことができる.めっちゃかっこいい.

f:id:Windymelt:20170117011542j:plain

(画像は Horizon – NFC Ringより引用)

nfcring.com

僕はこの活用法として,NFC Ringを鍵としたスマートなパスワード管理という構想を実現させようと思った.

しかし自前でパスワードマネージャを書くのは練習になるとはいえリスキーだと思い,OSSで何か良いものはないかと探してみたら面白いツールを見つけた.pass というシンプルな名前のツール.検索しにくそうだ.

www.passwordstore.org

これは,UNIX哲学に則りgitとPGPでパスワードを管理するツールのようだ.gitもPGPも大好きだ.これを使わない手はない.NFC Ringと連動させれば,CUI特有の面倒も軽減できるだろう.

アーキテクチャ

アーキテクチャは以下の通り.

  • NFC Ring
    • PGP鍵を復号するパスフレーズを供給する.
    • 紛失した場合,PGP鍵を即座に無効化する必要がある.ここは難しい.
    • Pythonでデータを読み取れる(実質1KiBのフラッシュメモリなのだから)ので,連携は難しくないはず.
    • 本物のNFC Ringであることを保証する電子署名機能が付属している高めのモデルにした.
  • Pass
    • パスワード管理を担当.
    • パスワードDBはGitHubかBitbucketなどに,プライベートレポジトリとして保管する.
  • Da Vinci 32U
  • ブラウザ拡張
    • 見ているサイト,フォーカスが当たっている要素を認識する.
    • 既にchrome向けの拡張が存在するので,これに手を加えることもできる.

これらの協調によって,望みのサイトの画面でNFC Ringをタッチすれば,自動的にパスワードを入力できるようになるはずだ.

やっていくぞ

passを見付けたのが深夜だったので実装はまた次に.ちなみに届いたNFCRingだが,サイズを間違えてスカスカだったので,交換しようという気持ちになっている.楽しみにしていたのにめっちゃつらいし,凹んでいる.

参考文献

d.hatena.ne.jp

パスワードと戦っている様子

windymelt.hatenablog.com

windymelt.hatenablog.com

windymelt.hatenablog.com

日記

麦酒二缶を飲んだら疲れからか気持ち悪くなったので、控えたい。

赤い毛布を買った。これで暖かくして眠れそう。

余裕を持って生活できてきている。これを持続させたい。

Schemeでコードを書いた。前より書けるようになった。

ポエムを書くとき,ネットに青い空はあるか - 技術エントリ・ポエム・正しさハラスメント

著者はそんなつもりはなかったであろうに突然脚光を浴びてしまい,「ポエムじゃん」みたいなくさし方をされているようなエントリをたまに見掛ける. かわいそう.こっそり絵を描いていたノートを誰かに取り上げられているようだ.僕もそれで絵を書くのをやめてしまった.悲しいね.

いまどきのプラットフォームでは,ネットに発表するとき,そのソースから本人を参照することができるのがふつうになっている.だから引用から辿れるし,リンクがあればそこに行けるし,会話ができたりする.まあ,あたりまえだ.それがネット.

ネットの青い空

ところで僕の隣には風呂場で歌う人が住んでいて,あまり上手ではないので最初のうちは迷惑がっていたが,最近はそれに深みがあると思うようになった. あるひとが風呂で歌うとき,誰に聴いてほしいわけでもないはずだ.しかし歌っている本人は,どこかに向けて発信しているという感覚を楽しんでいるはず.あえて聴き手を想定するならそれは空で,空に向かって独りで野山をくちずさむのと同じような体験をしているはずだ.そういう舞台が,今のネットには用意されているのだろうか.

誰も見ていないかもしれないことが大事な要素になっていることがあると思う.自分の知っている近しい誰かには返事をしてほしくないときがきっとあるのだ.あらゆるコンテンツにURLが紐付いているインターネットには,それがわからない宿命があると思う.何かを投げれば,誰かに拾われてしまう.なんでも受け入れる広く青い空がネットにあるだろうか.そういう背景があって,ひとりぼっち惑星といった存在がうけたのかもしれない.「これはポエムです」というまどろっこしい予防線は,青空を求める心の声だと思う.

"正しさハラスメント" についての気持ち

まあそれはそれでおいといて,技術的な事柄に間違いがあってはいけない.「食べ物は胃が消化します」みたいな簡略した記述*1は,相手が一般人だからこそ許されるのであって,技術エントリは,技術者に向けられている以上,間違いがあっては困る.初学者が読むかもしれないからだ.一度書いたものは永遠に残るし,それにもとづく知識が広まったらいよいよ取り消すことができなくなる.技術エントリは,判断の材料になってしまう.だからこそ間違いはきちんと正されるのだ.

これはポエムです.

cf.

emokuaritai.hatenablog.jp

*1:この「簡略した」記述自体,正確ではないと思うけれど,これは技術エントリではないので許してほしい

日記(stack+haskell, ルーチン)

stack build にめちゃくちゃ時間がかかって,その間RSSリーダでサイトを巡回していたけれど,結局ダウンロードが終わらなかった.自宅の回線の遅さたるや,こういう時には堪える.

ルーチン

帰宅してからのルーチン,つまりまずやることのリストを作った.ここんとこずっと帰宅しては画面に張り付いて,時間だけ過ぎて体調を悪くしたりしているので,規則正しく生活して安寧を得たいという目論みです.受動的に過ごしてはいけないという実感を大切にしたい.あとは実行あるのみ.がんばるぞい

アンサーソング

これはプログラミングでつまづいている後輩へのアンサーソングだ.

shiningcureseven.hatenablog.com

僕も,プログラミングがどうやったらできるようになるか,さっぱり分からない.分からないが,自分のプログラミングとの向き合い方を紹介するくらいはできるんじゃないかと思う.

プログラミングを「勉強」すること

プログラミングをやることと,プログラミングについて勉強することとは違う.プログラミングは絵を描くのと同じだ.大学では絵画の歴史について学ぶかもしれないし,画法について解説した書籍も沢山ある.でもそれを読んでも画家にはなれないんだ.絵を描けるようになる,つまり自分が納得する絵を描けるようになるには,人の真似をしたり,何かを描いてみたりする必要がある.プログラミングもそうだ.プログラミングをやれるようになるために,オブジェクト指向はいらない.書いてみて,納得がいけばいい.オブジェクト指向などといった概念は「○○様式」のようなもので,分類上設けられた概念だと僕は考える.言語の数だけ設計があるし,それを書いた者の数だけ設計がある.

追われる感覚

体調悪いとかを言い訳にして草を抜かない日もあるので、そうしているうちに草がまた伸びてきて、勉強してない人と何も変わらないことに!

気持ちが真っ平ら - cureseven’s new knowledge

プログラミングに登場する概念はいくつもある.そのうちのいくつかが増えたところで,基礎が揺らぐことはそうそうない. 「これからは○○ 知ってないと恥ずかしい」というのは,そういう商売なので,あまり真剣に相手してはいけない.君は初学者なので,自分で必要性が判断できるようになるまでは,無視しておいてよい.洋服の流行を見るみたいな態度でよい.

seo-jump.com

本を読む

読み書きという言葉があるように,読むことと書くことは対称の関係にある.学んだら,使ってようやく意味があるし,そこまでやって初めて学んだことになる.「読むだけで上達」というのは,基本的にない.読みすぎるとわかった気になってしまうので,かえって困ったことになる.

授業

授業を受けていればいつの間にか草は全て刈れているの?上のことはほとんどが授業でやらないことだけどいつ学ぶの?

気持ちが真っ平ら - cureseven’s new knowledge

大学は料理教室ではなく,研究機関だ.学部ではその前段階として研究の下地を作り,論理的に文章が作れる(つまり論文が書ける)ようになることを目標としている.大学でやるのは情報学であって,プログラミングのスキルではないことに留意しよう.

じゃあどうすればいいんだ〜

3歳児の落書きだと思ってコードを書いてみたりいじったりすることだ.そして,わからないことはググるか,人に訊こう.ググったほうが早いときもあれば,人に訊いたほうが早いときもある.

いろんな経験をしよう.旅行でもいいし,別の体験でもいい.アイデアは実体験の延長線上に現われると僕は考える.経験に富む人は,豊かな発想ができる.(安全な範囲で)いろんなことを訊こう.(安全な範囲で)いろんなものを見よう.

人生は旅だ!エンジョイしよう!

おすすめするかもしれない書籍

ただのお気に入り書籍なので,おすすめするとは言いきれない書籍たちです

君たちはどう生きるか (岩波文庫)

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不実な美女か貞淑な醜女か(新潮文庫)

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数学ガール (数学ガールシリーズ 1)

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怒りの葡萄(上) (新潮文庫)

怒りの葡萄(上) (新潮文庫)

ペンギン・ハイウェイ (角川文庫)

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いまどき,自分で価値観を探す必要がある

七草粥は,遅く起きたので作る気にならなかった.

近所のスーパーに惣菜を買いに行く道すがら,やる気を考えていた.外ではなく家に帰ると途端に元気が失せてしまうことがよくある.

家という神聖な場所*1では自分と世の中とが切り離される. 何をするかは自分の勝手なのに,誰かに糾弾されているようで気が塞ぐ.

人はそれぞれ違うという当たり前のことを,ネットはもっと露骨にした. 他人も仲間だよねという切なくも淡い信仰が死んだ*2

ありとあらゆる真偽の定かでない情報がネットから放射される. みんな反射的になっていて,よく考えずに反応するので摩擦と衝突は増えるし,何をしても誰かから非難されたり嘲笑されたりする. 僕は制御棒のないネットに疲れてきている.よほど我が強くなければ価値観の核反応に耐えられない.

安心できれば,真実の代わりになる*3.真実クラブではなく,仲良しクラブに入りたいのだ.人は好き勝手書くようになる.信じたがるのだ.そしてそれを自ら確かめるようにネットに発信し,情報過多に弾みが付く.

その中で,人がどうなって,どう過ごし,どう生きていくのか,誰もアテにならない.ネットが人を疎外するという,重い皮肉だ. では何を依代にする?社会に承認されるという安心ではなく,自分でそれに納得する安心が欲しい.

価値観と社会とを希求し,見付け,自分のものにする必要がでてくるのだ.それはネットには落ちていない.それは信仰だったり,愛国主義だったりするかもしれない. 世の中はまた一段と難しくなった.

あなたはどうやって価値観を維持していますか.

参考文献

つながらない生活 「ネット世間」との距離のとり方

つながらない生活 「ネット世間」との距離のとり方

*1:cf. 『つながらない生活: 「ネット世間」との距離のとり方』

*2:「ネットの瘴気」とは,僕はこの事だと思っている.

*3:世の中のたいていの人はテレビや新聞が嘘をついているとは思わないはずだ.

旧友と新年会した(エンジニアとして生きるという自己欺瞞、そして就活と過去の思い出)

新年の抱負はそのうち書くので(どうせ書かないだろう)、いまは僕が日常から絞り出した一つの思い出を書く。いま書かなければ忘れそうなきがするからだ。

去年のある日、旧友のひとりが京都を訪れていたことを知った。会いたかったがあいにく予定が合わずに会食は叶わなかった。どうにも仕事を外せない日だったのだ。たんに社会人という言葉で片付けられないようなノスタルジーをはらんだ出来事だった。また会おうね、という約束だけが残った。

僕には友達が少ない。あまり友達を作るのに向いていないのだろう。長続きした友達は片手に入るほどしか残らなかった。ややさみしい反面、友達が少なくてもむしろそのほうが大事な友達になるさ、という強がりを自らに言い聞かせて、大学を卒業した。

またある日の晩、僕は孤独と無力感に苦しんでいた。足を運ぶ全ての大地が僕を拒むように感じ、会う全ての人が乗り越えるべき障害に見えた。世界に捨てられたと確信して打ちひしがれた。

ここで心の展開があった。私は私だ。誰にも指図は受けない。誰が何と言おうと、心からは何一つ奪えないし、何一つ盗み見ることはできないと悟ったのだ。

「私はユニークな存在である」というアッタリマエの事実を、僕の心は驚きをもって迎えた。なぜなら、エンジニアは交換可能で、技術だけがその存在価値だと信じて疑わなかったからだ。もっと言えば、働く価値が人間の価値だと信じていたからだ。人文系学部を出た僕は、情報系学部を出ていないことから生じる危機感から、孤独信仰のようなものを抱えていた。一人で戦い、強くなれ。それはそれで正しいかもしれないが、それでも、人間の価値はお金を稼ぐ労働者としての価値にしかないのだろうか。

むろん、そんなことはない。就活の自己分析とやらは、自分の労働者としての価値を自分に値踏みさせる行為だ。無垢な若者は、自分にそれ以外の価値はないと思ってしまう。とくに、趣味でそのままソフトウェア開発者となった僕は、僕の価値はソフトウェアを書くことだけだ、と、自らレールを敷いて自分を値踏みしてしまった。愚かなことだ。僕は少し自分を大事にしようと思った。

自分を大事にすることを知った僕の心には、連絡を取っていない旧友の顔が一人一人浮かぶようになった。ソフトウェアの他にも、僕には大切な友達がいる事を思い出したからだ。絵だって描ける。文章も好きだ。本を読める。宇宙開発のうんちくだって喋れる。僕の世界に色が戻ってきた。

古い友達を大切にしようと思った。あとは行動あるのみだと思った僕は、まずその旧友に連絡を取った。年は開けて2017年の元旦の夜、高校の友人たちが帰省するタイミングに飛び込んだ。結果三人が僕のためにわざわざ来てくれた。四年近く何の連絡もなかった人が、また一堂に会しようとしている。涙が出るほど嬉しかった。幸せだと感じた。ネット万能の時代に顔を合わせるのがどれほど貴重なことか。僕は喜び勇んで店に予約の電話を入れた。

ばらばらな中学校から来た人間がある高校に集い、そしてまたばらばらな大学へと突き進んでいく。そのさきにもまたばらばらな就職がある。僕はその中で人とのかかわり方を忘れていたのかもしれない。今だけしか会わない人。そんな冷ややかなものの見方が、絆が叫ばれた世の中に微妙な違和感を覚えていた僕なりの、カッコつけだったのかもしれない。逆だ。多様を極め、ばらばらに生きて行かざるを得ないこの世界だからこそ、人々は精神の繋がりを希求して絆を訴えたのではなかろうか。あまりに僕はその世情に染まっていたために、絆を冷遇していたのかもしれない。

ある友達は就職していた。ある友達は医者になるべく努力している。ある友達は可能性を突き進んでいた。なんだろう、スクラムを組んで一緒に向かっていく気持ちになった。そこは就活を喧伝する大学とは程遠い、佐賀のとあるレストランの一角に陣取った、かつての同窓の四人が腰掛けるテーブルだからこそそう感じたのかもしれない。少なくともそこでは、僕は「僕/私」という主語で語らうことができるのだ。

あいつ今何してるかな……と帰りの電車で語りかけると、懐かしそうな顔をしていた。

過去にはいつでも戻れるんだね。